カテゴリー別アーカイブ: 引用

終わるまで終わりではない

 戦いの真っ最中にどのような感情を経験しようとも、その感情は調整できるものであり、興奮しすぎないことがベストなのだと理解することが重要である。
 元大リーガーのヨギ・ベラが言うように、「終わるまで終わりではない」。勝つ前に勝つことを考えているのなら、禅の言葉を思い出すとよい。「勝利は我を思わぬものに与えられる」。
 禅の指導者である鈴木俊隆は、過度の喜びを求めないことが必要だといっている。もしそれができるのなら「冷静沈着な落ち着き」を手に入れることができるだろうといっている。
 わかりやすくいえば、これは「人生の転換となるかもしれないほどの素晴らしいことを今にもやり遂げようとするとき、その喜びについての誘惑的な思考に浸ってはならない。さもなければ冷静さを失うだろう」ということを意味している。
 思考をうまくコントロールすることは、絶え間ない注意力を必要とする。例えば、ゴルフのようなスポーツで各ショット間の待ち時間が長すぎるというような問題を抱えたとき、燃え尽きないためには集中力のペースを保つことを学ばなければならない。
 私は、よくゴルファーに視覚的な比喩としてアコーディオンを思い浮かべてもらう。各ショットの後、アコーディオンのようにぐーんと伸びてリラックスして、それからまた集中力を高めるのに気持ちを引き締め次に向かうのである。

『「ゾーン」はここだ!』
マイケル・ラーデン

-タイチーめも-
競技中を生き抜く

実際の戦闘でも、競技でも、勝利する直前というときには、ついつい誘惑的な考えが飛来することがありますよね。
それで、最後の最後で逆転負けしたりすることもあります。/(^o^)\

武術には、これをいさめるために「残心」という教えがあります。

心を残す、という意味です。

これには「ちゃんととどめを刺す→確認する(もう一度刺す)」と、戦国のころの作法に則った具体的なものから、「相手を打ち倒しても、相手はまだ機能を停止したとは限らない、なので気を抜かない」といった心構えの教えまであります。

どの教えにも共通していることは、「終わりまでは終わりではない」ということです。
物事を成し遂げようとした、最後の瞬間、油断すると足元をすくわれてしまいます。

心はそこに留めてはいけませんが、残すのはよい…、このあたりのニュアンスは難しいですね。
実際の教室で体験してもらうのがよいでしょうね。

お待ちしてま〜す!\(^o^)/

「ゾーン」はここだ!

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人のための太極拳、自分のための太極拳

 もし名声が一番の目標であれば、真に偉大になるために必要な動機をむしばむことになる。もしPGAツアーのレベルで競技したいのなら純粋な動機が必要となる。
 偉大になるためには、目の前の課題に対して抑えられないほどの熱情が必要であり、それが純粋な動機という意味である。
 もし熱情のためにプレーをするのならうれしい気持ちでプレーできる。他人が何と思おうと気にならない。子供たちが裏庭で野球をするように、プレーしたいからプレーするのである。それが純粋な動機の真髄である。
 それとは対照的に有名になりたいと思ってスポーツをすると、実際は潜在能力を実現する力を脆くしてしまうことになる。
 なぜそうなのか。
 名声や崇拝されることを望むことは、欲を満たそうとすることだからである。他人から認められたいという基本的欲求は、人間であることの証しではある。
 承認を求めるということは、意識的であれ、無意識的であれ、あまりに多くの「支配者」(訳注:ライバルやマスコミ等からの影響)のいいなりになってしまうということである。
 激しい競技では既に重圧があるのに、まだそれよりプレッシャーをかけることは、抱えきれない負担と失敗につながる。他人が何と思うかを気にしていると、目の前にある直接経験から切り離されてしまう。
 こうなると知心自覚を活性化することができなくなり、ゾーンに入れなくなる。

『「ゾーン」はここだ!』
マイケル・ラーデン

-タイチーめも-
自分のための太極拳

いつも同じことを言っていますが、重要なので、なんどでも言います。

誰のためですか?

あの人より自分は足が高く上がる、あの人よりも自分は腰が低い、自分の太極拳は周りとは違う…。
太極拳の世界で、よく見かけることです。

じゃあ、実際に戦いなさい。
となると、今度は「俺のほうが強い」とかいろいろ始まるので終わりません。┐(´д`)┌

誰のために、何のために、太極拳を修行しているのか?

自分のためです。
したくてしたくてたまらない、楽しくて楽しくてたまらない、自分のためにするのです。

功夫(時間をかけて培った能力と力のこと)は、自分の中にしか蓄積できないのです。
師から授かった、誰にも取り出せない、自分だけのぴかぴかの宝石です。

それは、あくまでも自分自身のために修行した人のみが得られるものです。

しかし、そうやって身につけた「力」は、自分の欲を満たすために使ってはいけません。
そうすれば、功夫という宝石はとたんに輝きを失います。

困っている人のために、その力を必要をしている人のために、自分の欲得を抜きでふるうことが肝要です。

他人のための太極拳を練習してはならない。
自分のために太極拳を使ってはならない。

修行は自分のために、得られた力は人のために。

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注意が散漫になることに抵抗しなければならない

 スポーツでも、パフォーマンスに関連するどんな活動においても、優秀であるためには、パフォーマンスの前も、最中も、そしてその後も注意が散漫になることに抵抗しなくてはならない。
 この注意散漫は、自己の中に内在するものかもしれない。例えば恐れや不安、あるいは自己不信の苦しみなど。または自己の外に存在するもので、自分を取り巻く騒雑な環境等かもしれない。
 精神を平静に保ち、まさに今この瞬間に留まって、注意をそらさないようにできるのなら、禅の指導者たちがいう「心猿」もしくは雑念を経験することに抵抗していることになる

『「ゾーン」はここだ!』
マイケル・ラーデン

-タイチーめも-
注意が散漫になることに抵抗しなければならない

陳氏太極拳や、それに付随する気功の教えの中には、心を平静に保ち、雑念に抵抗するための教えがいくつかあります。

「慧剣斬心魔」や、「文息法」「武息法」などです。

武術は対している相手に集中しながら。「八方眼」とも言って周囲に隙なく、気(と目)を配らなくてはいけません。
しかし、それは注意力が散漫になっているのではなく、また雑念(恐怖や不安)などに心を囚われないようにしなければなりません。

気功も意外と、面白いものですよ。(^ω^)

ちなみに、中国武術なので「ゾーンに入る」という言い方はしませんが、太極拳や気功の練習中は「感じるがそれを認識せず」や「時間の流れを感じなく、ただ自分と相手のみしかいない空間」などを経験したりすることもあります。

しかし、それが「結果」なのか「過程」なのかは、本人と師父のみ知る、というやつですね〜。(^ω^)

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