スポーツでも、パフォーマンスに関連するどんな活動においても、優秀であるためには、パフォーマンスの前も、最中も、そしてその後も注意が散漫になることに抵抗しなくてはならない。
この注意散漫は、自己の中に内在するものかもしれない。例えば恐れや不安、あるいは自己不信の苦しみなど。または自己の外に存在するもので、自分を取り巻く騒雑な環境等かもしれない。
精神を平静に保ち、まさに今この瞬間に留まって、注意をそらさないようにできるのなら、禅の指導者たちがいう「心猿」もしくは雑念を経験することに抵抗していることになる
『「ゾーン」はここだ!』
マイケル・ラーデン
-タイチーめも-
注意が散漫になることに抵抗しなければならない
陳氏太極拳や、それに付随する気功の教えの中には、心を平静に保ち、雑念に抵抗するための教えがいくつかあります。
「慧剣斬心魔」や、「文息法」「武息法」などです。
武術は対している相手に集中しながら。「八方眼」とも言って周囲に隙なく、気(と目)を配らなくてはいけません。
しかし、それは注意力が散漫になっているのではなく、また雑念(恐怖や不安)などに心を囚われないようにしなければなりません。
気功も意外と、面白いものですよ。(^ω^)
ちなみに、中国武術なので「ゾーンに入る」という言い方はしませんが、太極拳や気功の練習中は「感じるがそれを認識せず」や「時間の流れを感じなく、ただ自分と相手のみしかいない空間」などを経験したりすることもあります。
しかし、それが「結果」なのか「過程」なのかは、本人と師父のみ知る、というやつですね〜。(^ω^)
僕は記憶力がいいほうではないので、いろいろな記憶法を学んだことがあります。あるとき、1つの記憶トレーニングにチャレンジして想像以上に記憶力がアップしました。その方法を教えてくれた先生に「すごいね!」と褒められた僕は「先生のおかげです」と謙虚に答えました。その時です。
「どうしてもっと喜ばないの?」
先生から言われてしまいました。そして「今までできなかったことが少しでもできるようになったら。子どものように喜んだほうがいい。そうすることでトレーニングがもっと面白くなる」
『人生を変える修造思考!』
松岡 修造
-タイチーめも-
ちょっとした成功でも喜ぶクセをつける
今までできなかったことが、できるようになった時のうれしさは、筆にも舌にも尽くしがたいものがありますよね。(^ω^)
伝統武術としての陳氏太極拳は、武術としての要求から、腕の上げ下げにも厳しい要求があります。
もちろん初心のうちには、あまり厳しい要求を言うことはありませんが、修行の結果、できるようになった喜びはいつになっても良いものです。(^ω^)
私の修行時代には、その日は、いつもよりも贅沢なビールを呑んでお祝いしまくりました!\(^o^)/
…ちょっと「子どものように」ではない気もしますw
楽しさを覚えると、それまでの苦しい訓練が、急に楽しいものになってきます。
そんな不思議をまた味わいたくて、また毎日練習しちゃうのかもしれませんねぇ。(^ω^)
無我の境地。身体にムダな力が入らず余計なことを一切考えないで集中している状態です。スポーツではゾーン状態、ゾーンに入るとも言われます。この状態こそ、僕がよく使う「一所懸命」な姿です。
一所懸命という言葉は、がむしゃらに必死になって「頑張れ、頑張れ」と冷静ではないように思われがちですが、それは正しい一所懸命ではありません。一所懸命は、「ひとつの所に命を懸ける」ことなので、まさに無我の境地に入った状態を指します。そのうえで頑張るのですから、がむしゃらとは正反対の言葉だと僕は思っています。
『人生を変える修造思考!』
松岡 修造
-タイチーめも-
なにも念じない「わけではなく」、なにも想わない「わけではない」
我々の太極拳などでは「無念無想」という境地があります。
しかし、しっかり意識は「意識は丹田を守る」の状態にします。
なにも念じない「わけではなく」、なにも想わない「わけではない」のです。
まさに「ひとつの所に命を懸ける」ように、その状態に向かって集中していきます。
そうすると、だんだん武術の練習も先に進んでいくように思います。
武術だけでなく、日常生活でも、自分の力を100%出しきるために、この伝統武術の心得は役に立つと思いますよ〜。(^ω^)
おはタイチーございます。 今日も良い1日でありますように!\(^o^)/