タグ別アーカイブ: 理論

迷った時には

 幸せではないと思う、イライラしてしまう、そう思ってしまうのは自分の中で何をしていいのか、何を目指すべきなのか分かっていないことが大きな原因です。僕にもそういうことがあります。生き生きと輝くためには、まず目指すべきものを探すことから始まります。
 ただ、正直に言えば、他人は何が答えかは分かりません。数学なら答えが出るでしょう。1+1=2のように、絶対的な答えを誰でも出せます。でも、その人の中から出てくる迷いや悩みの答えを、他の人が出すことはできません。
 本人がどうしたいのか、本当のところ他人には分からないからです。そんなときに、「なぜ?」「どうして?」と自分に問いかけていくと、必ず自分の中に答えが出ます。間違いなく出ます。そうやって質問を重ねていくと、実はたいした問題ではないこともよくあります。

『松岡修造の人生を強く生きる83の言葉』
松岡 修造

-タイチーめも-
「答えは自分の中に全部ある」

まず最初に大事なのは、自分の主人は自分であること。
つまり自分の一番のファン、しかも大ファンは自分自身であることをしっかりと知ることが大事なんではないでしょうか。

陳氏太極拳には「理が不明なら明師にたずね、道に迷ったら良き友を訪ねよ」という拳諺(武術のことわざ)がありますが、これはあくまでも「志を持った」自分がしっかりとある人向けの言葉です。

しっかり自分自身と向い合って、一体何をしたいのか、どうありたいのかを見つめることは非常に重要です。

そうしたことを続けていると、自分の目指したいものが「志」として現れてくるように思います。(^ω^)

松岡修造の人生を強く生きる83の言葉

松岡修造の人生を強く生きる83の言葉
著者:松岡修造
価格:1,050円(税込、送料込)
楽天ブックスで詳細を見る

人のための太極拳、自分のための太極拳

 もし名声が一番の目標であれば、真に偉大になるために必要な動機をむしばむことになる。もしPGAツアーのレベルで競技したいのなら純粋な動機が必要となる。
 偉大になるためには、目の前の課題に対して抑えられないほどの熱情が必要であり、それが純粋な動機という意味である。
 もし熱情のためにプレーをするのならうれしい気持ちでプレーできる。他人が何と思おうと気にならない。子供たちが裏庭で野球をするように、プレーしたいからプレーするのである。それが純粋な動機の真髄である。
 それとは対照的に有名になりたいと思ってスポーツをすると、実際は潜在能力を実現する力を脆くしてしまうことになる。
 なぜそうなのか。
 名声や崇拝されることを望むことは、欲を満たそうとすることだからである。他人から認められたいという基本的欲求は、人間であることの証しではある。
 承認を求めるということは、意識的であれ、無意識的であれ、あまりに多くの「支配者」(訳注:ライバルやマスコミ等からの影響)のいいなりになってしまうということである。
 激しい競技では既に重圧があるのに、まだそれよりプレッシャーをかけることは、抱えきれない負担と失敗につながる。他人が何と思うかを気にしていると、目の前にある直接経験から切り離されてしまう。
 こうなると知心自覚を活性化することができなくなり、ゾーンに入れなくなる。

『「ゾーン」はここだ!』
マイケル・ラーデン

-タイチーめも-
自分のための太極拳

いつも同じことを言っていますが、重要なので、なんどでも言います。

誰のためですか?

あの人より自分は足が高く上がる、あの人よりも自分は腰が低い、自分の太極拳は周りとは違う…。
太極拳の世界で、よく見かけることです。

じゃあ、実際に戦いなさい。
となると、今度は「俺のほうが強い」とかいろいろ始まるので終わりません。┐(´д`)┌

誰のために、何のために、太極拳を修行しているのか?

自分のためです。
したくてしたくてたまらない、楽しくて楽しくてたまらない、自分のためにするのです。

功夫(時間をかけて培った能力と力のこと)は、自分の中にしか蓄積できないのです。
師から授かった、誰にも取り出せない、自分だけのぴかぴかの宝石です。

それは、あくまでも自分自身のために修行した人のみが得られるものです。

しかし、そうやって身につけた「力」は、自分の欲を満たすために使ってはいけません。
そうすれば、功夫という宝石はとたんに輝きを失います。

困っている人のために、その力を必要をしている人のために、自分の欲得を抜きでふるうことが肝要です。

他人のための太極拳を練習してはならない。
自分のために太極拳を使ってはならない。

修行は自分のために、得られた力は人のために。

「ゾーン」はここだ!

「ゾーン」はここだ!
著者:マイケル・ラーデン
価格:1,575円(税込、送料込)
楽天ブックスで詳細を見る

注意が散漫になることに抵抗しなければならない

 スポーツでも、パフォーマンスに関連するどんな活動においても、優秀であるためには、パフォーマンスの前も、最中も、そしてその後も注意が散漫になることに抵抗しなくてはならない。
 この注意散漫は、自己の中に内在するものかもしれない。例えば恐れや不安、あるいは自己不信の苦しみなど。または自己の外に存在するもので、自分を取り巻く騒雑な環境等かもしれない。
 精神を平静に保ち、まさに今この瞬間に留まって、注意をそらさないようにできるのなら、禅の指導者たちがいう「心猿」もしくは雑念を経験することに抵抗していることになる

『「ゾーン」はここだ!』
マイケル・ラーデン

-タイチーめも-
注意が散漫になることに抵抗しなければならない

陳氏太極拳や、それに付随する気功の教えの中には、心を平静に保ち、雑念に抵抗するための教えがいくつかあります。

「慧剣斬心魔」や、「文息法」「武息法」などです。

武術は対している相手に集中しながら。「八方眼」とも言って周囲に隙なく、気(と目)を配らなくてはいけません。
しかし、それは注意力が散漫になっているのではなく、また雑念(恐怖や不安)などに心を囚われないようにしなければなりません。

気功も意外と、面白いものですよ。(^ω^)

ちなみに、中国武術なので「ゾーンに入る」という言い方はしませんが、太極拳や気功の練習中は「感じるがそれを認識せず」や「時間の流れを感じなく、ただ自分と相手のみしかいない空間」などを経験したりすることもあります。

しかし、それが「結果」なのか「過程」なのかは、本人と師父のみ知る、というやつですね〜。(^ω^)

「ゾーン」はここだ!

「ゾーン」はここだ!
著者:マイケル・ラーデン
価格:1,575円(税込、送料込)
楽天ブックスで詳細を見る